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天才が政治を語るとき

ジョン・レノンの政治的発言は、オノ・ヨーコの思想的な影響圏を大きく超えるものではなかったように思う。しかし、音楽家としては紛れもない天才である。

ジョン・レノンの政治的発言は、
オノ・ヨーコの思想的な影響圏を大きく超えるものではなかったように思う。
しかし、音楽家としては紛れもない天才である。
宮崎駿の左翼的な発言には、
どうにも納得できないものが少なくない。
しかし、アニメーターとしての観察力、動きへの執念、世界を立ち上げる能力は、ちょっと尋常ではない。
イーロン・マスクの政治的発言には、
一方的で乱暴に見えるものも多い。
しかし、電気自動車から宇宙開発、通信、AIまで、あのスケールで現実を動かす人間は、歴史上にもそう多くないだろう。
三島由紀夫の政治思想や最後の行動に共感できなくても、あの文章の異様な美しさは消えない。
ドストエフスキーの保守的で民族主義的な発言に首をかしげても、小説の中で描いた人間の深さまで浅くなるわけではない。
ピカソの政治的態度がどうであれ、
絵画の歴史を変えた事実は動かない。

たぶん、政治の言葉は、その人がクリエイティブでやっていることより単純にならざるを得ない。
政治的発言には、結論が必要だからだ。
賛成か反対か。
右か左か。
誰が正しく、誰が間違っているのか。
では、いま何をするべきなのか。
複雑な世界を、いったん言葉で切り分けなければ、政治は実践にならない。

しかし、クリエイティブは違う。
矛盾したままでいい。
善人の中に悪人がいてもいい。
悲しみと幸福が同時に存在してもいい。
言葉にならないものを、
言葉にしないまま差し出すことさえできる。
政治が現実を整理して進むための言葉だとすれば、創作は、整理できない世界をそのまま抱えるための無限のイメージである。

だから天才が政治を語ると、
ときどき驚くほど普通の人に見える。
作品の中ではあれほど複雑な人間を描けるのに、政治の話になった途端、世界を善と悪の二色で塗り始める。
けれど、それは才能が偽物だったということではない。
ただ、政治的発言という限られた器に、
その人の巨大な才能が入り切らなかったのだ。

なお、私自身については、
政治ネタより曲のほうが多少マシだと思っています
【全曲フル試聴・歌詞付き】
Sugarfields『何者にもならず』|Full Album