拍手が来る方向ばかり向いていると
左翼ミュージシャンのおじさんたちの投稿を読んで、ときどき心配になる。そんなに自信たっぷりに、そんなに見える範囲の狭い話をして、
左翼ミュージシャンのおじさんたちの投稿を読んで、ときどき心配になる。
そんなに自信たっぷりに、
そんなに見える範囲の狭い話をして、
大丈夫なのだろうか。
自分たちの主張が支持されない理由を、
「SNSが悪い!」で片づけてしまうようでは、
世間の視野の狭さを嘆いているつもりで、
自分の視野の限界を発表しているだけである。
音楽を聴く前に、
考え方の底が見えてしまうのは、
表現者として少しもったいない。
それでも毎日のように続けているのだから、
何か、やむにやまれぬ事情があるのだろうか。
YouTuberの案件みたいなものだろうか。
誰かからお金をもらって、
言いたくないことまで言う契約なのだろうか。
そんな案件なら、まだわかる。
言うことが決まっている。
褒める対象も決まっている。
触れてはいけないところもある。
「実際に使ってみたら、ちょっと違いました」
とは、なかなか言いにくい。
ただ、この場合、
誰かがお金を払っているとは限らない。
報酬は、拍手なのかもしれない。
「よくぞ言ってくれました」
「本物のミュージシャンは違う」
「これからも声を上げてください」
これなら請求書はいらない。
いつもの結論を納品すると、
いつもの称賛が振り込まれる。
いったんそう考えると、
少し腑に落ちる。
こちらは、
「もっと広いところから見たら、話が違うのでは」
と思っている。
でも、広いところから見てしまったら、
いつもの結論が出せなくなる。
相手にも事情がある。
自分の側にも矛盾がある。
反対したあと、どうするかも考えなければならない。
そんな話を始めたら、
コメント欄が静かになる。
場合によっては、
昨日まで「勇気ある発言です」と言っていた人から、
「見損ないました」と言われる。
勇気を褒めてくれていたはずなのに、
違うことを言う勇気は、契約に含まれていなかったらしい。
音楽なら、
循環コードを繰り返してもいい。
その上でメロディが動き、
景色が変わり、
思いがけないところへ連れていってくれる。
けれど、どんな出来事を見ても、
毎回同じ悪者が出てきて、
毎回同じ正義が勝つ話では、
さすがに次の展開が読めてしまう。
イントロで、もう歌詞がわかる。
本人は、複雑な事情を理解しているつもりなのだろう。
けれど世間には、
その筋書きに収まらないもっと複雑な事情がいくらでもある。
それでも本人は、
今日も誰も言えなかったことを言った顔をしている。
その言い方で人が遠ざかっても、
原因はまた、SNSということになる。
もちろん、私も拍手はうれしい。
自分の書いたものに「その通り」と言われれば、
つい、いいことを書いた気になる。
その拍手に気をよくして、
別の見方を見落としていることもあるのだろう。
黙って読んで、
少し違うことを考えている人もいる。
そういう人にも、続きを読んでもらえる文章でありたい。
拍手が来る方向ばかり向いていると、
いつの間にか、
そこにいる人だけが世間になる。
楽屋では大ウケだった話が、
客席では妙に寒い。
ステージに立つ人なら、
その違いには敏感であってほしいと思う。
私も、客席の静かなところまで、
ときどき目を向けながら。