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「反権力」でギターが鳴り始める

「反権力」という言葉を聞くと、頭の中でギターが鳴り始める世代がある。何に反対しているのかを聞く前に、

「反権力」という言葉を聞くと、
頭の中でギターが鳴り始める世代がある。
何に反対しているのかを聞く前に、
すでに少しかっこいい。
好きだったレコード。
憧れたミュージシャン。
大人たちへの苛立ち。
あのギターなら、私の頭の中でも鳴る。
あの音に、救われた夜もあった。
「反権力」には、
青春の照明が当たり続けている。

社会はなんだかんだ豊かになると思えた時代には、
その流れに乗りながら、
心では逆らうこともできた。
学校へ行き、会社へ入り、
給料で反体制のレコードを買う。
明日も会社へ行くために、
今夜は少し、世界に逆らう。

いまの若者には、
社会がこの先も持ちこたえるのか、
そちらが心配な人もいるだろう。
給料。家賃。子育て。
安心して暮らせること。
反権力よりも、
まず家賃の話をしたい人がいる。
権力を誰に預け、何をさせるか。
そこを問うことに、政治的な意思がある。
権力に向き合う自分もまた、
民主主義の中で、
その力と責任の一部を担っている。

権力への抵抗が必要な場面はある。
けれど、「反権力」が、
仕事や暮らしとは別のところで、
自分を支える柱になっている人もいる。
その考え方を疑うことが、
自分まで否定するように感じられる。
会社では頭を下げても、
心までは従っていない。
そう思うことで、保てた自分がある。
長く自分を支えてくれた考え方は、
いつしか、ものを見るときの癖にもなる。
目の前の話を確かめるより先に、
若い頃から馴染んだ答えが出てくる。
その答えに、
いまもギターが鳴っている。

自分たちの反抗が、
古い作法になっていないか。
「あなたたちの反抗には、従いません」
そう言う若者の話を、
少し笑って、聞ける大人でいたいよね。
こちらの知らない気持ちを、
きっと、知っている。