イメージできることは、実現できる
イメージできることは、誰が馬鹿にしようと実現できる。私は、わりとそう思っている。こんな音が欲しい。

イメージできることは、誰が馬鹿にしようと実現できる。
私は、わりとそう思っている。
こんな音が欲しい。
こんな機材があったらいい。
こんなスタジオなら、すぐにこんな音楽が作れる。
自分の中で「ああ、これはできるな」と感じたら、
あとは作り始めればいい。
もちろん、途中で困る。
だいたい、配線とか、お金とかで困る。
でも、他人に「無理だよ」と言われることと、
自分にも何も見えていないことは、ずいぶん違う。
逆に、イメージできないことを、
無理にイメージしても意味がない。
「成功した自分を、強く思い描きましょう」
と言われても、成功した人物像は、
なぜかプールサイドにいるちょいマッチョなおじさんだったりする。
私は別に、プールサイドにいたくて音楽を作っているわけではない。
できればスタジオにいたい。
いい音が出て、ちょっと嬉しくなっていたい。
夢というのは、
それらしい立派な未来の自分になることよりも、
「これがあったら、嬉しいな」
という、もっと具体的で個人的なものなのかもしれない。
ところが、恋になると話が変わる。
こんな話をしたい。
一緒にごはんを食べたい。
こんなふうに笑ってくれたら嬉しい。
いくらでもイメージできる。
困ったことに、機材を作るときより、
鮮明だったりする。
しかし、相手には相手の予定がある。
こちらが二人の未来を考えているときに、
向こうは冷蔵庫の豆腐の賞味期限を気にしているかもしれない。
どちらも、それぞれの人生にとって大事なことだ。
しかも、実際に会うと、
想像していなかった一言に惹かれたりする。
そういうところで笑うのか。
そんなことを考えていたのか。
自分が思い描いた通りの人だったら、
たぶん、こんなに気にならない。
イメージできるから、作りたくなるものがある。
イメージできないから、もっと知りたくなる人がいる。
私はどうも、どちらにも時間を使ってしまう。
次に会ったら、これを話そう。
そう考えて、
なかなか良い話まで用意しておいたのに、
本人を前にすると、
「寒くなってきたね」
くらいでいい気分になったりする。
頭の中では、あんなに喋る必要があったのに。
機材なら、まず断線を疑うところである。