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何様が、何様に向かって

世の中には、こちらが何も頼んでいないのに、いろいろ教えてくれる人がいる。その服は似合わない。その考え方は古い。

世の中には、こちらが何も頼んでいないのに、いろいろ教えてくれる人がいる。
その服は似合わない。
その考え方は古い。
その音楽はもう流行らない。
その生き方では幸せになれない。
ずいぶん詳しい。
私の人生について、私より詳しい。
そこまで言われると、
こちらも心の中で、
つい一言だけ返したくなる。
「おまえ、何様やねん」
しかし、この言葉は便利であると同時に、
かなり危険である。
なぜなら「何様やねん」と言っている自分もまた、
相手を上から判定しているからだ。

「他人を上から判定するとは、おまえは何様だ」と、
上から判定している。
何様が何様に向かって何様と言っているのか。
人類は、かなり昔からこの構造の中でもめている。
SNSを開けば、今日もたくさんの人が正しいことを言っている。
政治について。
社会について。
音楽について。
映画について。
他人の発言について。
どれも一見もっともらしい。
中には、本当に正しいこともある。
ただ、正しい言葉を並べれば並べるほど、その奥にいる本人の姿まで、妙にはっきり見えてくることがある。
賢く見られたい。
センスがいいと思われたい。
自分だけは本質を見抜いていることにしたい。
言葉は内容だけを運ぶものではない。
その人が隠したかったものまで、
一緒に運んでくる。

そして当然、私の言葉もそうである。
私は普段から、好き放題にいろいろ書いている。
世の中に注文をつけ、人の言葉に首をかしげ、ときには「そこ、本筋からズレてないか」と偉そうに指摘する。
つまり私も、かなり立派な何様である。
鏡に向かって「何様やねん」と言ってみたら、
鏡の中の男も、まったく同じ顔でこちらに言い返してきた。
腹が立ったので鏡を割ってみても、
破片の数だけ何様が増えるだけだ。
どうやら逃げられない。

だから、好きなことを言えばいいと思う。
思ったことも、正しいと思うことも、
好き放題に言えばいい。
誰も止めはしない。
ただし、自分が誰かを見ているとき、
誰かもまた自分を見ている。
こちらが「おまえ何様やねん」と思ったその瞬間、
たぶん向こうも、まったく同じことを思っている。
人間とは、お互いに見透かされながら、
それでも懸命に何様かを演じている生き物なのだ。
というわけで、
何様が何様について歌った曲を作りました。
Sugarfields「何様」
アルバム『何者にもならず』収録