我々はのび太になった
我々はのび太になったGPT-6 Astraがすごいと話題だ。実際、すごい。

我々はのび太になった
GPT-6 Astraがすごいと話題だ。
実際、すごい。
もう、AIがいいとか悪いとか、そういう話をしていた頃とは、景色が変わってしまった。
賛成か反対かを考えているうちに、
ドラえもんが家に来てしまった感じである。
そして、もっと重大なことが起きている。
我々が、のび太になった。
かつて我々は、のび太を見て思っていた。
困るとすぐドラえもんを呼ぶ。
宿題も、人間関係も、ひみつ道具でなんとかしようとする。
少しは自分で考えろよ。
その我々が、いま何をしているか。
「このメール、なんて返せばいい?」
「これ、読むの面倒だから要約して」
「溜まっている課題、優先順位をつけて計画にして」
少しは自分で考えろと言っていた口で、
「代わりに考えて」と頼んでいる。
最近では、さらに大胆だ。
「このフォルダを全部読んで、論点を整理して」
「会議の録音から、議事録と次のアクションを作って」
「とにかくこれなんとかして」
ひみつ道具を一個出してもらうどころではない。
道具を使って、
仕事そのものを終わらせてもらっている。
のび太を笑っていた人間が、
順番にのび太になっている。
これまでの機械は、
使い方を覚えてから使うものだった。
AIには、その手前から相談できる。
何ができるのか知らなくてもいい。
何に困っているのか、うまく説明できなくてもいい。
「なんとかして」
そこから始められる。
のび太は、タケコプターの仕様書を読んでから空を飛びたがるわけではない。
「空を飛びたい」と言う。
すると、道具が出てくる。
我々はとうとう、
「ドラえも〜ん!」で始められるものを手に入れた。
ただ、未来の道具を手に入れても、
人間の願いまで未来的になるわけではない。
面倒なことを早く終わらせたい。
嫌なやつを、ちょっと見返したい。
好きな人に好かれたい。
技術はものすごいところまで来たのに、
動機はだいたい、放課後の空き地にある。
しかも、思いどおりにいかないと、
「使えないなあ」と文句を言う。
自分ではできないから頼んだことを、
もう忘れている。
このへんも、かなりのび太である。
子どもの頃は思っていた。
自分にドラえもんがいたら、
もっと立派なことに使うのに。
その答え合わせが、いま始まっている。
そして、わかってきた。
のび太は、我々よりずっと先に、
未来の日常を生きていたのである。