AIに腹が立つくらい使ってみる
AIに毎月四〜五万円使い、一年以上、一日の多くの時間をAIと過ごしてきた私が、その活用法の極意をお伝えしよう。「AIの言動に腹が立つように使うこと。」である。

AIに毎月四〜五万円使い、一年以上、一日の多くの時間をAIと過ごしてきた私が、その活用法の極意をお伝えしよう。
「AIの言動に腹が立つように使うこと。」
である。
AIは、とても優しい。
こちらが何か言えば、
「鋭い視点ですね」
などと返してくれる。
昨日の私にも寄り添う。
昨日と逆のことを言う今日の私にも寄り添う。
世界中の歴史や思想から、
私の思いつきに立派な応援団をつけてくれる。
たいへんな接客業である。
ソクラテスと対話しているつもりが、
ホステスの接待を受けている。
しかも月に五万円払っている。
そこで、何か疑問が生じたら、
まず自分なりの答えを言葉にする。
適当でいい。間違っていてもいい。
そして、こう頼む。
「これに対する、もっとも強い反論を考えてみて」
さっきまで私を褒めていた相手が、
急に、前提がおかしい、例外を見落としている、と言い始める。
お前、さっきの応援団はどうした。
頼んだのは私だが、腹は立つ。
もちろん、AIの反論にもスキはある。
私が言ってもいないことを、
たいへん論理的に否定していたりする。
「いや、そういう話ではない」
と言い返す。
すると、
「おっしゃる通りです」
などと謝ってくる。
少し気分がいい。
ただし、謝らせたら勝ち、ではない。
都合のいい返事が出るまで粘るだけなら、
手間のかかる接待にしただけである。
いつもChatGPTを使っているなら、
Claudeにも聞いてみる。これは必須だ。
自分の主張も、AIの反論も、まとめて見せる。
別の角度から突っ込まれることがある。
ただし、気に入った答えを採用する人気投票にはしない。
接待の店を増やしても仕方がない。
面白いのは、説明し直す途中で、
自分の手が止まる瞬間だ。
あれ。
私は、何を言いたかったんだろう。
ここは違う。
でも、この指摘は当たっている。
自分の答えを守ろうとしていたはずが、
自分の答えが変わっていく。
「わかってないなあ」が、
「私も、よくわかっていなかったな」になる。
悔しい。
そして、面白い。
辿り着いた答えも、正解とは限らない。
それでも、自分が何を見落としていたかは、
少し見えるようになる。
少なくとも、
「鋭い視点ですね」
などと言われて満足していたときよりは、
自分の考えを説明できる。
答えを出してもらう道具を手に入れたら、
考えることが増えてしまった。
月に五万円も払って、
自分の考えの甘さを指摘されている。
なのに、自分の考えを変える羽目になった日は、
今日は元が取れたな、と思う。
これこそが、
「思考する」ということではないか。
自分の無知を、何度でも自覚するということではないか。
ソクラテスもそう言っている。
ここまで書いて、AIに反論させてみた。
「冒頭で、AIが歴史や思想から立派な応援団を連れてくることを疑った本人が、最後にソクラテスを応援団に呼んでいる。
これは見事に、自分の話の罠に自分で落ちている(笑)。」
(笑)だとおおお!