次の戦争は、同じ姿ではやって来ない
終戦記念日。我々は、決して過去の戦争の記憶を忘れてはいけない。昭和の戦争も、日清日露も、桶狭間の戦いも、関ヶ原の戦いも、戊辰戦争も。こう並べると、途中で少し妙な感じがする人がいると思う。

終戦記念日。我々は、決して過去の戦争の記憶を忘れてはいけない。
昭和の戦争も、日清日露も、桶狭間の戦いも、関ヶ原の戦いも、戊辰戦争も。
こう並べると、途中で少し妙な感じがする人がいると思う。
桶狭間や関ヶ原まで持ち出す必要があるのか。
そんなものは、もう大昔の歴史ではないか。
そう思うだろう。
そこが面白いのである。
毎年八月になると、「先の戦争の記憶を忘れてはいけない」と盛んに言われる。
しかし、「戊辰戦争の惨禍を二度と繰り返してはいけない」と毎年特集を組むテレビ局はない。
「また若者が日本刀を持たされ、官軍と戦わされるかもしれない」と心配する人もいない。
関ヶ原の反省から長槍の配備に反対する人もいないし、桶狭間の悲劇を繰り返さないために、雨の日の本陣警備を強化せよという署名運動もない。
なぜなら、みんな知っているからだ。
それは過去の戦争であり、次の戦争は同じ姿ではやって来ない。
ところが昭和の戦争になると、急にその常識が消える。
軍備の話をしただけで、
「また徴兵制が始まる」
「若者が戦地へ送られる」
「軍靴の音が聞こえる」
という、昭和二十年の映像が頭の中で自動的に再生される。
零戦と赤紙と竹槍が出てくる物語。
それはもう、関ヶ原と変わらぬ時代劇なのである。
「戦争で最前線に駆り出されるのは、我々一般国民だ」
とも言われる。
しかし、現代の戦場は町内会の綱引きではない。
素人を大勢連れて行けば、そのぶん強くなるというものではない。
サッカーの観客を全員ピッチへ降ろして、
「人数が増えたから、これで勝てる」
と言っているようなものである。
もちろん、現代にも徴兵や動員はある。
だが、徴兵された瞬間に戦力になるわけではない。
訓練を受け、役割を与えられ、組織の一部になって、初めて戦力になる。
何の訓練も受けていない一般国民を最前線へ放り込んでも、敵と戦う前に味方が困る。
ドローン、暗号通信、電子戦、敵味方の識別、衛星情報、精密兵器。
現代の軍隊が必要としているのは、「国民」という大ざっぱな人の塊ではない。
機械を操縦できる人、通信を守れる人、情報を分析できる人、壊れた装置を直せる人、補給を止めない人である。
では、一般国民は戦争と無関係なのか。
もちろん、そんなことはない。
むしろ現代の戦争では、兵隊にされる前に、日常生活そのものが戦場になる。
爆撃だけではない。
通信が切られる。
電力が止まる。
物流が止まる。
物価が大変動する。
偽の映像や情報が大量に流され、人々の判断そのものが攻撃される。
空を飛んでくるものに、人間が乗っているとも限らない。
勇敢なパイロット同士が空中で戦うより先に、遠く離れた部屋でモニターを見ている人が、ゲーム機のようなコントローラーを握っている。
戦争は、古い残酷さを残したまま、新しい技術だけを次々と手に入れていく。
昭和の白黒映像を繰り返し見るより、小さなドローンがどこまで飛び、何を見て、どう偵察や攻撃に使われているのかを知るほうが、現在の戦争についてずっと多くを教えてくれる。
本気で戦争に反対するなら、何に反対しているのかくらいは、現在形で知っておいたほうがいい。
次の戦争は、軍靴の音を響かせながら行進して来るとは限らない。
音もなく飛んできて、すでに我々の頭上からこちらを見ているかもしれない。
そして我々は、空襲警報ではなく、スマートフォンの圏外表示を見て、初めて戦争が始まったことに気づくのかもしれない。
そう考えると、『VIVANT』って、まさに現代の戦争ドラマだよね!
そんなふうに平和を願い、音楽を作っている私、Sugarfieldsの新譜はこちら。
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