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「美味しいね」と言って、死んでいく

「美味しいね」と言って、死んでいく人は、仲のいい人と優しくし合って、美味しいものを「美味しいね」と言いながら食べて、

「美味しいね」と言って、死んでいく
人は、仲のいい人と優しくし合って、
美味しいものを「美味しいね」と言いながら食べて、
やがて死んでいく。
たぶん、それだけで十分幸せなのだ。
映画『ちいかわ』を観た。
かわいい生き物たちが、
小さな声で何かを食べたり、
少し困ったりする映画だと思っていた。
ところが観終わってみると、
こちらの人生観が、
小さな手で思いきり殴られていた。
ちいかわ、拳が重い。
人間は、すぐに人生へ大きな仕事を課してしまう。
強くならなくては。
善くならなくては。
誰かを救わなくては。
できれば世界も、少しくらい良くしなくては。
そうでなければ、
自分が生きている意味がないような気さえしてくる。
もちろん、立派であることは悪くない。
しかし立派であろうとしすぎると、
いつの間にか、
誰かを救いたいのか、
「誰かを救える自分」になりたいのか、
わからなくなる。
そのうち胸には、
正義と善意と使命感がぎゅうぎゅうに詰まり、
ずいぶん偉そうな人間が完成する。

そこへ、ちいかわがやって来る。
ちいかわは、世界を救えない。
怖がる。
泣く。
逃げる。
うまくできない。
それでも、仲間のそばにいる。
食べるものがあれば一緒に食べ、
嬉しいときは一緒に喜び、
誰かが傷つけば、自分まで悲しい顔をする。
あまりにも小さなことばかりしている。
しかし見ているうちに、
こちらが抱えていた立派な理念のほうが、
急に怪しく見えてくる。
現実には、どうにもならないことがある。
努力しても届かない。
愛しても守れない。
祈っても助からない。
悲劇はこちらの人格も努力も確認せず、
受付を通らずに人生へ入ってくる。
だからこそ、
隣にいる人と「美味しいね」と言う。
どうにもならない世界に対して、
「それでも、ここだけは優しくする」
と、自分の意思で決める。
それは、ささやかな慰めではない。
世界を救えない自分が、
それでも世界を悲劇だけのものにはしないという、
小さくて頑固な抵抗である。
自分の無力さを認めることは、
負けではない。
万能であるふりをやめて、
目の前の一人を雑に扱わないための覚悟なのだ。
自分の偉そうな幻想に絶望したところから、
ようやく本当の優しさが始まる。

でもちいかわは、そんなことを演説しない。
ただ、小さな体で仲間を気遣い、
目の前の食べ物を喜ぶ。
それなのに、
観終わったあとには、
やけに大きな哲学が残る。
人は、世界を救えない。
けれど、誰かと食べる夕飯くらいは、
温かいものにできる。
人生とは案外、
そのくらいの大きさでできているのかもしれない。
仲のいい人と優しくし合って、
美味しいものを「美味しいね」と言いながら食べて、
死んでいく。
「それだけ」の人生。
けれど、その「それだけ」の中に、
幸せのほとんど全部が入っている。
という何気ないメッセージを伝えるためだけに、
あの衝撃のラストシーンで
我々を完膚なきまでぶん殴るのである。