ソファで仕事をするなかれ
自宅で仕事をするなら、必ず守るべきこと。ソファで仕事をするなかれ。これは精神論ではない。

自宅で仕事をするなら、必ず守るべきこと。
ソファで仕事をするなかれ。
これは精神論ではない。
人間の意志と家具の設計思想が衝突した場合、ほぼ確実に家具が勝つからである。
ソファは、人間を働かせるために作られていない。
背中を預けさせ、腰を沈め、足を伸ばさせる。
全身を使って「もう頑張らなくていい」と説得してくる家具である。
そんな場所にノートパソコンを持ち込んで、「よし、今日はここで集中しよう」と考える。
最初の十分くらいは、本当に仕事をしている。
メールを一通返し、資料を開き、少しだけ文章を書く。
しかし、そのうち腰が疲れてくる。
クッションを背中に入れる。
少し姿勢を斜めにする。
足をソファの上に乗せる。
飲み物を取りに行くのが面倒になる。
このあたりから、仕事と休憩の境界線が静かに消えていく。
やがてパソコンは膝の上から腹の上へ移動する。
「少し考えを整理しよう」
そう言って目を閉じる。
二十分後、胸の上にはノートパソコンが載り、画面には書きかけの文章が残り、本人だけが深い眠りについている。
ソファは仕事を妨害しているのではない。
本来の使命を、きわめて忠実に遂行しているだけなのだ。
机は人間に命令する。
「座れ」
「手を動かせ」
「終わるまで立つな」
ソファは人間と交渉する。
「今日はもう十分じゃないか」
「続きは明日でもいいだろう」
「その前に、猫の動画を一本だけ見ないか」
しかも、ソファの言い分には妙な説得力がある。
一本だけだった猫の動画は、気づけば「世界の巨大建造物」になり、最後は「なぜ古代ローマは滅びたのか」に到達する。
仕事は一ミリも進んでいないが、人類史には少し詳しくなっている。
もちろん、ソファで良いアイデアが浮かぶことはある。
それは仕事をしているからではない。
仕事をやめたから浮かんだのである。
だから、アイデアを考える場所としてソファを使うのはいい。
ぼんやりする。
音楽を聴く。
天井を見る。
そのまま眠る。
それは立派なソファの使い方である。
しかし、実際に文章を書く。
数字を計算する。
メールを返す。
何かを完成させる。
それは机でやるべきだ。
仕事場と休む場所を分けることは、自分を厳しく管理することではない。
休む場所を、ちゃんと休める場所として守ることでもある。
ソファに座ってもよい。
だが、仕事を始めてはならない。
仕事を終えた者だけが、ソファに座る資格を持つ。
あるいは、今日はもう仕事を終えたことにした者だけが。
そんなふうに今朝目が覚めたらソファの上だった私、
Sugarfieldsの新譜はここで聴けます。
ソファの上で聴いてください。
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