ミュージシャンは、役に立たなくていい
音楽が役に立たないことに耐える勇気。誰にも褒められなくても、自分がいいと思う音を作り続けることについて。

ミュージシャンなんて、そもそもクソの役にも立たない。
停電を直すわけでもない。
水漏れを止めるわけでもない。
病気を治すわけでも、腹を満たすわけでもない。
曲を一つ作るのに何か月もかけて、ようやく発表する。
しかし、世界は驚くほど何も変わらない。
気温も変わらない。
株価も動かない。
近所の犬も、いつもどおり吠えている。
渾身の新曲も、スマートフォンの画面を指で一度払われれば、そのまま宇宙の彼方へ消えていく。
役に立たないことを、誰にも気づかれずに続ける。
これは、なかなか精神的に厳しい。
自分はいったい、何をしているのだろう。
そんなとき、「戦争反対」という言葉は強い。
曲は最後まで聴いてもらわなければ伝わらないが、「戦争反対」は一秒で伝わる。
音楽の良し悪しには好みがあるが、戦争反対には、ほとんど反対意見がない。
曲を発表したときには返ってこなかった拍手が、正義の言葉を掲げた瞬間に返ってくる。
「よく言った」
「声を上げてくれてありがとう」
「あなたのような表現者が必要です」
こうして、音楽ではなかなか得られなかった自己肯定感が、思想のほうから供給される。
もちろん、戦争には反対である。
私も反対だ。
ただ、ときどきわからなくなる。
これは本当に戦争を止めるための言葉なのか。
それとも、曲を発表しても誰にも気づかれなかった自分を救うための言葉なのか。
世界が小さくなるほど、正しさはよく流通する通貨になる。
同じ言葉を使い、同じ敵に怒り、互いに「いいね」を押し合えば、そこにはすぐに居場所ができる。
音楽の実力は簡単には測れない。
しかし、誰の側に立っているかは、プロフィールを見ればすぐにわかる。
いつしか、「何を鳴らしている人なのか」よりも、「何に反対している人なのか」のほうが、その人の輪郭になっていく。
そして作品よりも、作品に添える声明文のほうが長くなる。
グルーヴより問題提起。
メロディより立場表明。
色気より連帯。
音楽にとってもっとも大切な快感原則が、言語的な承認欲求に押し出されていく。
間違ったことは言っていない。
むしろ、どこまでも正しい。
しかし、正しさを優先するほど音楽から自由さが消え、ユーモアは古くなり、作品は小さくまとまっていく。
音楽が、音楽の形をした学級会になってしまう。
本当は、ミュージシャンは役に立たなくていい。
社会的意義などなくてもいい。
一曲の音楽が戦争を止めることはないし、世界を正しい方向へ導くことも、たぶんない。
それでも、誰かのどうしようもなく寂しい夜を、三分半だけ少しマシにすることはある。
それで十分なのではないか。
正義を歌うな、という話ではない。
歌いたければ歌えばいい。
ただし、自分の価値を証明するための救命胴衣として、正義を身につける必要はない。
誰にも褒められなくても、役に立たなくても、自分がいいと思う音を作り続ける。
もしかすると、それに耐えることのほうが、よほど表現者としての勇気なのだと思う。
そんな、何者にもならず、ただ音楽をしていたい私──Sugarfieldsの新譜はこちら。
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