ミュージシャンが気軽に政治を語らない方がいい理由
ミュージシャンが、あまり気軽に政治を語らない方がいい理由。発言する権利の話ではない。単純に、そこで何が起きるかという話だ。

ミュージシャンが、あまり気軽に政治を語らない方がいい理由。
発言する権利の話ではない。
単純に、そこで何が起きるかという話だ。
まず、専門外のステージでは、
音楽で築いた実績は通用しない。
こちらが昨日知って怒った話を、
何年も調べている人がいる。
制度も経緯も、反論もその先も知っている。
もちろん、専門家でなくても発言していい。
ただ、音楽で得た拍手は、
その発言の正しさまで保証してくれない。
そこを取り違えると、
素人のカラオケになりかねない。
本人は熱唱している。
周囲は音程が気になっている。
次に、主張の中身より先に、
自己顕示欲が伝わってしまうことがある。
「社会の問題に気づいてほしい」
と言っているつもりなのに、
「社会の問題に気づいている俺を見てほしい」
と見られてしまう。
人前に立ち、注目され、拍手をもらう。
私たちは、それを長年やってきた。
政治を語るときだけ、
その欲求が都合よく消えるわけがない。
世の中を照らすつもりが、
自分にピンスポットを当ててしまう。
さらに、時間の話がある。
投稿そのものは、数分で終わる。
しかし、その日はそこで終わらない。
通知が鳴る。
知らない人が、間違いを指摘している。
しかも、悔しいことに詳しい。
こちらにとっての大発見は、
世間ではとっくに検討されていた。
すでに有力な反論がある。
前提の数字が違う。
肝心な条件が抜けている。
音楽なら昔の曲も喜ばれるが、
古い誤解の再演にアンコールは来ない。
説明を求められ、腹を立て、
反論を考えていたはずが、
相手のあらぬ人格否定しか思い浮かばない。
そうして、
曲を作るはずだった午後が終わる。
社会をよくするつもりが、
自分のストレスだけが積もっていく。
ここで、話をすり替えない方がいい。
「歌手は政治を語るな」
と言われたのなら、
それは職業を理由にした口封じだ。
しかし、
「その政治の話はおかしい」
と言われているのなら、
それは発言内容への反論である。
数字や論理の間違いを指摘されているのに、
「ミュージシャンの政治的発言を許さない社会」
の話にしてしまう。
これでは、
自分が答えるべき問いを、
社会が反省すべき問題に置き換えただけだ。
しかも、そこには、
なかなか魅力的な役柄が用意されている。
声を上げたために叩かれる表現者。
圧力に屈せず歌い続ける自分。
さっきまで発言の根拠を聞かれていた人が、
いつのまにか、
弾圧に抗う主人公になっている。
この被害者ムーブにも、
実にミュージシャン的なスポットライトが当たる。
反論への回答はまだなのに、
照明だけは仕上がっている。
反対に、拍手されても危ない。
「さすがです」
「よく言ってくれました」
うれしいので、次はもっと強く言う。
そのうち、
考えが深まったのか、
口調が激しくなっただけなのか、
自分でもわからなくなる。
音楽では丁寧に音量を調整する人が、
政治になると、
拍手のたびにフェーダーを上げてしまう。
そして気づけば、
同じ曲を好きな人の集まりが、
同じ相手を嫌う人の集まりになっている。
もちろん、音楽に政治が入ってもいい。
暮らしの中で生まれる歌に、
社会への怒りや願いが入るのは自然なことだ。
黙っていられないことも、
言うべきこともあるだろう。
ただ、
自由に語れることと、
語った内容が正しいことは別である。
いい曲を書けることも、
海外の有名な音楽家が政治を語っていることも、
自分の発言が正しい理由にはならない。
投稿する前に、
もう一度考えたい。
本当に伝えたいことがあるのか。
それとも、
これを言う自分がかっこいいのか。
反論されたとき、
内容を確かめられるか。
それとも、
傷ついた自分を主役にしてしまうか。
私にも、当然、心当たりがある。
マイクを持つ自由はある。
ただ、
マイクを持っただけで、
正しくなるわけではない。