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私の中に、まだ村上龍がいる

十代に読んだ村上龍は、今も自分の中にいる。SNSの投稿をきっかけに、好きなものへの憧れと、あの頃の自分を思い出した。

SNSで、村上龍について書いている人を、
ものすごくたくさん見かけた。

こんなにもいるのか。

どうもSNSというのは、
若い人たちの場所だという印象が抜けない。

しかし、私と同世代のおじさんたちが、
スマホを持って集合している場所でもあるらしい。

普段は別々の話をしているので、
同じ教室にいたことに気づかなかった。

私もご多分に漏れず、
十代の頃、村上龍を読みふけっていた。

村上春樹も、ほとんど読んでいる。

ただ、自分の血や骨になっている言葉となると、
村上龍のものが、ずいぶん多い気がする。

当時、私は「ヒューマンビーングス」というバンドをやっていた。

好きなことが何もやれない。

嫌なことなら平気でやれる。

お前らみんな奴隷、奴隷。

そんなことを大声で歌っていた。

完全に村上龍である。

バンド名では人類を名乗っているが、
思想的には、かなり一人の作家に所属していた。

その後、ニーチェを読んだ。

難しい哲学者だと聞いていたのに、
妙に読みやすかった。

「あれ。これ、知ってるぞ」

村上龍を読んでいるうちに、
自分の中にできていた感覚が、
そこにも書かれているように思えた。

もちろん、二人が同じことを言っている、
とまで断言するつもりはない。

ただ、私には、
村上龍のいる場所へ、
ずっと昔に来ていた人がいるように感じられた。

哲学の本を開いたら、
行きつけの店の常連がいた感じである。

それで、ニーチェも好きになった。

今でも年に一度くらい、
すごく高級なホテルのバーへ、
一人で飲みに行きたくなる。

素敵な女性と、
一夜を共にしたくもなる。

こちらは、年に一度という意味ではない。

そういう世界への憧れが、
今も、ちゃんと残っている。

背伸びもある。

見栄もあるだろう。

若い頃に読んだ小説の読みすぎも、
かなりあると思う。

それでも、
自分が惹かれるものを前にして、
「そういうのは、もういいです」

と、わかった顔で引き下がりたくない。

本当にもうよくなったなら、それでいい。

でも、まだ欲しいのに、
欲しくないことにしてしまうのは、
どうも気に入らない。

十代の頃は、
世間に向かって「奴隷」と歌っていた。

今は、その歌詞が、
ときどき自分のほうへ帰ってくる。

好きなことは、
面倒だからと後回しにする。

嫌なことは、
仕方ないからと手際よく済ませる。

ずいぶん、できるようになった。

十代の私が見たら、
マイクを向けてきそうである。

SNSに流れてくる、
村上龍についての言葉を読んでいると、
忘れていた自分に何度も出会う。

ああ、これも。

この感じも。

ここから来ていたのか。

もう誰に教わったかも忘れて、
自分の考えとして使っていたものの中に、
村上龍がいる。

影響というより、
今では支えと呼ぶほうがしっくりくる。

好きなものの前で、
妙に物分かりよくならずに済んでいるのは、
この人を読んだからかもしれない。

それにしても、
同じようなおじさんが、
こんなにたくさんいたとは。

みんな、それなりの年齢になり、
それなりの用事を済ませながら、
まだ、あの頃の本を身体の中に持っている。

今度、ホテルのバーで、
一人で飲んでいる同世代の男を見かけたら、
少し気になってしまいそうだ。

あなたもですか。

声はかけない。

お互い、女性を待っている顔くらいは、
していたい。