批判する自由と、批判される自由
先日、左翼系ミュージシャンの言説について書いた。Xでは120万回と予想を超えて読まれ、共感と反対意見が届いた。

先日、左翼系ミュージシャンの言説について書いた。
Xでは120万回と予想を超えて読まれ、
共感と反対意見が届いた。
反対意見を眺めているうちに、
いくつか明確な「型」があることに気づいた。
共通していたのは、
主張そのものには答えず、
論点を内容から人物へ移すことだった。
結果として、
自分は知的・道徳的に高い位置に残る。
ある種のポジショニング技術である。
1.人格診断型
「承認欲求が強いのでしょうね」
「コンプレックスの裏返しでは」
「きっと寂しい人なんだと思います」
頼んでもいないのに、
心の健康診断が始まる。
しかも全員、名医である。
数行読んだだけで、
幼少期の傷から現在の人間関係まで見抜いてしまう。
2.属性認定型
「ネトウヨ」
「差別主義者」
「冷笑系」
「権力側の人間」
議論というより、
荷物の仕分けに近い。
ラベルを貼って所定の棚へ運べば、
もう中身を確認する必要はない。
3.動機すり替え型
「注目されたいだけ」
「炎上商法でしょう」
「仕事がうまくいっていないのでは」
「何を言っているか」には答えず、
「なぜそんなことを言うのか」へ移動する。
本人が否定しても問題ない。
「自分では気づいていないんですね」
と返せばよいので、
とても便利である。
4.巨大な問題への接続型
「これは家父長制の問題です」
「植民地主義的な発想ですね」
「日本社会に根深く残る差別構造が——」
個人の違和感について書いただけなのに、
突然、背後に数百年の歴史が立ち上がる。
町内会の話をしていたら、
世界史の最終試験が始まるのである。
5.弱者の代理人型
「傷つく人がいることを考えたのか」
「当事者の声を聞くべき」
「想像力が足りない」
ときどき実際の当事者よりも、
「当事者を守る側」の声のほうが大きくなる。
弱者本人より先に、
代理人がマイクを握っているのである。
6.教養マウント型
「少し歴史を勉強したほうがいい」
「基本的な文献を読めばわかります」
「海外では通用しませんよ」
どの歴史なのか。
どの文献なのか。
海外のどこなのか。
そこは説明されない。
説明のない教養は、
知識というより身分証明書に近い。
「私は知っている。あなたは知らない」
この位置関係だけ作れば、
仕事は完了である。
7.攻撃しやすく翻訳型
「つまり戦争を肯定したいんですね」
「弱者を切り捨てろということですか」
「差別してもいいと言っている」
いちばん攻撃しやすい意味へ翻訳し、
自分で作った悪役を叩く。
元の文章は、
途中から関係なくなる。
8.長いです型
「長い」
「読む気がしない」
「AI使ってる」
内容ではなく、
ツールや文字数に反論する。
不思議なのは、
読んでいないはずの文章への批判だけは、
すでに完成していることである。
(ここまで読んでくださってありがとうございます)
9.残念です型
「昔は好きだっただけに残念です」
「こんなことを言う人だとは思いませんでした」
「ただただ悲しい」
怒鳴っていない。
悪口も言っていない。
ただ静かに傷つきながら、
相手の人格と人生を丸ごと否定する。
白いハンカチで包んだ棍棒である。
多様なようでいて、
結局この型でしかない。
型の実例は、書くまでもなく、
いつでもどこにでもある。
ひとつ区別しておきたい。
人格や動機に触れること自体が
問題なのではない。
それらを取り除いたあとにも、
元の主張への反論が残るなら、
それは反論である。
何も残らないとき、
初めて「型」になる。
こうした型は左翼だけのものではない。
今回は、左翼系の言説をめぐる反応の中で
目立ったものを並べた。
型に付き合っていると、
こちらも型を繰り出し始め、
最後は場外で椅子を投げ合うことになる。
時間と体力の無駄である。
もちろん、この文章自体が、
人の反応を九つに仕分けている。
届いた批判を片っ端から
「はい、3番の棚」と放り込めば、
この表も批判を聞かないための道具になる。
だから、使用上の注意を書いておく。
型に見えても、まず中身を読むこと。
そして、
同じ目安を自分にも向けること。
名前を挙げなかったのは、
候補が少なかったからではない。
多すぎたからである。
何人かを選べば、
その人たちだけの問題に見えてしまう。
私が書きたかったのは、
個人ではなく現象のほうだ。
そうでなければ、私はそもそも、
こんな文章を書いていない。
私が嫌いなのは
「左翼」という名札ではない。
自分の耳で聴くことをやめ、
全員で同じ音を鳴らし始める、
その瞬間である。
そして今回、本当に驚いたのは、
批判ではなく共感の多さだった。
「ずっと同じことを感じていた」
「自分だけではなかった」
そんな声が、
想像を超えて届いた。
あらためて感謝したい。
ただし、
拍手の数は正しさの証明ではない。
同じ景色を見ている人の拍手だけを聞いていると、
私も気持ちよく課題曲を歌い始めてしまう。
拍手の音量で、
自分の音程を確かめないこと。
これも、
使用上の注意に加えておく。
人は誰でも、
自分を守るための「型」を持っている。
私も例外ではない。
だからこの分類表は、
相手を見るためだけでなく、
自分を見張るためにも置いておきたい。
私は普段、
Sugarfieldsとして音楽を作っている。
文章と曲は、
だいたい同じ場所から生まれる。
今回も、
誰かに向けた言葉を自分に返しておきたい。
「おまえ、何様やねん」
自分自身にも向けて書いた曲である。
Sugarfields『何様』MV
https://youtu.be/s8mXW-DKMD4