先に答えを決めない
右だから。左だから。高市さんが好きだから。嫌いだから。先に結論が決まっていると、

右だから。左だから。
高市さんが好きだから。嫌いだから。
先に結論が決まっていると、
考える作業は、つじつま合わせの作業になる。
頭を使っているつもりで、
実は頭を弁護人として雇っている。
この弁護人が、なかなか優秀で困る。
結論に合う小さな出来事は、社会を揺るがす大問題にする。
合わない大きな出来事は、そもそも話題に上げない。
都合のいい針には拡大鏡を。
都合の悪い棒には、そっと布を。
しかも、語られていることは、
ひとつひとつ事実だったりする。
「嘘は言っていない」
たしかに。
でも、森の中から枯れた一本だけを撮って、「これがこの森の現実です」と見せれば、嘘をつかずに森を誤解させることはできるかも知れない。
「木を見て森を見ず」
その一本を、
「針小棒大」に語る。
この二つは、案外、仲がいい。
事実かどうかを確かめるだけでは足りない。
その事実が、全体の中でどれほどの重みを持つのか。
そこまで見て、はじめて考えたことになる。
何かを考えたり、意見を言ったりするとき、私が気をつけているのは、自分のポジションを固定しないことだ。
私のポジションは、外部のイデオロギーの中にはない。
何を大切にしたいか。
いま何が起きているか。
その都度、自分で考える。
もちろん、私にも好き嫌いはある。
嫌いな人の失言を見つけたとき、どこかで少し嬉しくなっている自分がいる。
その瞬間、弁護人はもう書類をそろえ始めている。
だから、自分の意見が気持ちよくまとまったときほど、
一度、見回してみる。
その結論のために、布をかけた棒はないか。