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AIが来ても、あなたの価値は変わらない

AIと音楽の話になると、急に人類の代表みたいな顔をする人が現れる。「AIに音楽を作らせたら、人間の創造性が失われる」「そんなものは、本当の音楽ではない」

AIと音楽の話になると、急に人類の代表みたいな顔をする人が現れる。
「AIに音楽を作らせたら、人間の創造性が失われる」
「そんなものは、本当の音楽ではない」
「このままでは文化が破壊される」
昨日までシンセサイザーで宇宙人みたいな音を出していた人まで、突然、バイオリンを抱えた文化財保護委員になる。

もちろん、著作権や学習データ、仕事の報酬については、きちんと考えなければならない。
そこは重要である。
しかし、AIを強く否定する言葉の奥には、ときどき別の感情が隠れている。
音楽の未来が心配なのではない。
自分の未来が心配なのだ。
長い時間をかけて身につけてきた技術が、誰でも簡単に使えるものになってしまうのではないか。
何年もかけて覚えた作曲や編曲やミックスが、たった一行の指示でそれらしい形になってしまうのではないか。
自分が苦労して登った山の頂上に、突然ロープウェイが開通したようなものである。
しかも、軽装の若者がソフトクリームを食べながら先に到着している。
これは腹が立つ。
恐ろしくもなる。
「お前たちは山を登ったとは言えない」と言いたくなる気持ちも、よくわかる。
ただ、その恐怖をそのまま口にするのは少し格好が悪い。

「私の仕事がなくなるかもしれなくて怖い」
「今まで苦労して覚えたことの値打ちが下がりそうで悔しい」
そう言えばいいのだが、人はなかなかそうは言えない。
そこで、その個人的な恐怖を「人類の創造性」や「音楽文化の危機」という大きな服に着替えさせる。
すると、少し立派に見える。
しかし、ほんとうはそんなことはどうでもいいのである。
いや、仕事や権利の問題がどうでもいいという意味ではない。
もっと根っこのところでは、そんなに心配しなくても大丈夫だということだ。

AIが作曲できるようになったからといって、あなたが何十年も音楽を聴いてきた時間は消えない。
初めて好きな曲に出会った日のこと。
誰にも聴かれない曲を何日もかけて作ったこと。
失恋した夜に、同じレコードを何度も聴いたこと。
ライブで大失敗したこと。
たった一つの音がうまく録れて、朝まで嬉しかったこと。
そういうものは、AIの性能が何倍になっても失われない。

AIは「切ないバラード」を一瞬で作れるかもしれない。
しかし、あなたがなぜそのコードで切なくなるのかは、あなたの人生の中にある。
AIは百曲を作れる。
だが、その百曲の中から、なぜか三十七曲目の二番の入り口だけが胸に引っかかる。
その「なぜか」を持っているのが人間である。

写真が登場しても、絵画はなくならなかった。
シンセサイザーが登場しても、ピアノはなくならなかった。
ドラムマシンが登場しても、ドラマーは消えなかった。
打ち込みが普及しても、人は相変わらず、少し走ったり遅れたりする演奏に胸を動かされることもある。

AIは、人間を無価値にする機械ではない。
私たちが、いったい何を価値だと思っていたのかを映し出す鏡である。
もし、AIが同じことをできるようになっただけで消えてしまうものがあるとすれば、それはあなた自身の価値ではない。
昔、その技術に付いていた値札である。

だから、AIを使ってもいい。
使わなくてもいい。
面白ければ近づけばいいし、気に入らなければ離れていてもいい。
ただ、AIが現れたからといって、自分まで消えてしまうように思う必要はない。
心配しないで大丈夫。
あなたの価値は、何も変わらない。

全員ロボットでアルバート・キングばりのソロを弾いたりしてくれるブルースバンドがいたらぜひ一度セッションしてみたい私の新譜はこちら
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